「なあ京極堂、石榴は雌だったかな」
「・・・何だい急に。本猫(ほんにん)に聞き給え」
「答えられるわけないだろう・・・・まぁ、いいか」
「何がどういいんだい」
「ん・・・。どっちでも、いいかなって」
金華猫の嘘
「師匠、こちらに関口先生いらっしゃってませんか?」
朝から雨が降っていて酷く冷え込むある日、少し不安そうな面持ちで鳥口が京極堂にやってきた。
京極堂の主人は相変わらずの凶相で、一度も本から目を離さずに答える。
「君の師匠になった覚えは無いのだがね。・・・関口君ならここ数日来ていないよ」
「うへえ、どーこ行っちゃったんスかねぇ。もう直ぐ締切なのに・・・」
「だから逃げ回っているんじゃないのか。とにかくうちには来ていないよ」
「・・・匿ってませんよね?」
おや、と中禅寺は思う。普段だったらこの青年にとって今の状況――関口が締切り前にいなくなること――は日常茶飯事である。
それを如何してこうも不安そうにしているのか。・・・やっとそこで鳥口に視線を向けた。
「匿ったところで一文の得にもなりやしない。――どうしたんだい、何時ものことだろうに」
「そうなんですけど・・・。何か先生、この前ちょっと様子が変だったので・・・少し心配で」
「変?」
「何だったかなぁ・・・橙、いや金柑の猫を知っているか、とか僕に尋ねて」
途端、中禅寺は読んでいた本を閉じ、鳥口を睨み付けるように凝視した。
鳥口はビクッとして、(何か変な事を言ったか)と冷や汗をかきつつ中禅寺に向き合う。
やがて中禅寺は唸るようにして、今までずっと部屋の隅にいた飼い猫に視線を向け、言う。
――――頭の中では先日の関口との会話が思い出されている。
「―――金華猫の事かい」
「ああ、其れです。知らないって答えたら・・・・」
“キンカビョウ?何ですかそれ”
“中国の、何でも人間に化けて騙した人間を眠ったまま目覚めさせなくする妖猫だそうだよ。
男相手には美女や美少女に、女相手には美青年や美少年に化けるらしい”
“うへえ、怖い猫っすねえ・・・”
“・・・そうだね。・・・でも・・・”
“でも、何です?”
“いいや、何でもないよ”
「・・・・先生、何だか嬉しそうにそんな話をしてたんで・・・気になって。」
「――――もしその病にかかったら如何するか聞いたかい」
「いいえ、そこまでは」
「その猫の肉を病人に食べさせるんだ。けれど男性相手に雄だった場合、それは意味がない。女性相手に雌だった場合も同様だ―――」
中禅寺は立ち上がり、外套を取ると鳥口に向かって言った。
「鳥口君、一緒に関口君を探してくれ。・・・・また『向こう』に行きかけてる。」
「此処でしたか」
雨は少し弱まって、神田・神保町の探偵事務所に着く頃には小雨になっていた。
寅吉がタオルを持って中禅寺と鳥口を出迎える。益田は榎木津を呼びに奥の寝室へ行った。
榎木津は直ぐに出てきた。
「何だ本馬鹿にトリちゃん。猿なら今この探偵榎木津様のベッドで安眠中だぞ。この雨の中うろついてたので捕獲したんだ。」
「それはご苦労様でした。」
榎木津は不機嫌そうに、しかしどこか焦ったような顔をして中禅寺に答える。
「全くだ。雨の中傘も差さずにふらふらして、声をかけてやったのに上の空で、―――おまけに視えるのはお前の家の猫と見覚えのある女の人や男ばかりだ。」
「――――失礼しますよ」
「ああ。・・・頼んだぞ、京極。」
「はい」
中禅寺はそう返事をして寝室に入っていった。
応接用のソファーに座らされた鳥口には、未だに事態がよくわからない。
益田と寅吉も同様のようで、しかし心配そうにしている。
「何がどうなってるのかよくわからないなあ」
「関口先生が大変って事しか・・・」
「此処にいらしたときはもう半分寝てしまってて、かれこれ3〜4時間眠ったままですねぇ・・・」
「そうだ鳥口君、猫って・・・」
「ガタガタ五月蝿いぞお前達!関はこの雨でまたジメジメと茸を発生させているのだ!それでもってその茸栽培を止められるのは、
誠に悔しいがあの本馬鹿にしかできないんだ!大人しく待っていろ!」
益田が情報をまとめようと鳥口に質問しかけると、榎木津が叫んだ。あれこれ言っていた3人は一斉に大人しくなる。
榎木津はその端正な顔を忌々しそうに歪めて寝室のドアを睨んだ。
――――関口は夢の中にいた。
石榴が立っている自分の側に寄ってくる。近くに来たと思ったら、いきなり石榴の姿は歪んで人の形になる。
初めに現れたのは涼子。涼子は笑いながら手を差し伸べてくる。
思わず手を差し出そうとすると、触れる直前で涼子は消える。
次に現れたのは久保。箱を大事そうに抱え、目が合うと ふ、と笑って消えた。
続いて鈴子、茜へと姿を変え、また涼子が現れる。皆、うっすらと微笑んでいる。
関口は回らない頭で思う。
―――嗚呼、これは石榴の見せる夢か。
―――夢でないはずがない。
―――皆、“あちら”へ行ってしまった人たちではないか。
―――ならば此れは、否、此処は彼岸か。
―――それとも彼らは、あの出来事たちは全て夢だったのか。
―――嗚呼・・・最早そんなことはどうでもいい。
―――皆、幸せそうではないか。
―――何と居心地がいいのだろう。
関口が夢に全てを委ねようとすると、何処からか声が聞こえた。
関口はその声が中禅寺のものだと気付く。そして同時にこの世界から離されることを悟る。
此処が彼岸であるために、彼は自分を連れ戻しに来たのだと。
中禅寺が関口を呼ぶ。
『関口君、関口君』
『・・・京極堂。このまま眠らせてくれないか』
『石榴が化けて見せる夢はそんなに甘美かい』
『ああ。全ては夢なんだ。涼子も久保も鈴子さんも茜さんも皆夢なんだ・・・』
『その夢を見続ければ関口君、君は死んでしまうよ』
『それもいいかもしれない』
このまま苦しまずに死ねたら、それは理想的な死に方でなかろうか、と関口は思う。
しかし中禅寺はそれを赦さない。
『・・・僕は絶対に君を起こすよ。石榴を殺して君に食べさせてでも』
『愛猫家の君はそんな事しないよ。いいんだ。僕は幸せだから』
―――大体、男女両方の夢を見ている自分は石榴の肉を食べても無意味なのだから。
『こんなものは幸せと呼ばない。・・・いいか、よく聞くんだ。石榴が君を化かす事はあり得ない。これは君が勝手に見ている幻想だ』
『え?』
突然言われた言葉に、関口は動揺した。
『金華猫は少なくとも3年、人に飼われないと化けないんだ。石榴は家に来てまだ1年も経っていないんだぜ。到底化けたりなんか出来ないんだよ』
『・・・・』
『それでも君が起きないと言うなら仕方ない。石榴を殺して君に食わせる。・・・そうしたら起きるのだろう?』
『――――やめてくれ』
『君が起きない限り、僕は実行するよ。石榴を可哀相と思うなら、早く起きないか』
『起きるよ!起きるから・・・石榴を殺すなんてやめてくれ・・・!』
目を覚ました関口が見た光景は、探偵のベッドに寝ている自分と、普段よりも3割増に仏頂面の古書肆だった。
「お目覚めかい、関口先生」
「京・・・極・・・」
「全く君は世話の焼ける。―――誰から金華猫の詳しい話を聞いたんだい」
「自分で・・・元々・・・は仕事のために調べていたんだ・・・」
「・・・全てを夢にしたかったかい」
中禅寺に問われて、関口は俯く。
「そう・・・なんだろうね・・・夢にして、そのまま――――」
「死ぬ、なんてことはさせないよ。―――次にこんなことを考えたら、死ねない呪いをかけてやるからね」
「!!」
「僕だけじゃあないよ、雪絵さんは勿論、榎さんや旦那、鳥口君、益田くんに和寅達だって絶対阻止するだろうから、簡単には死ねない。本当に次は無いからな」
「・・・わかったよ・・・」
ふと、窓から外を見ると既に暗闇だった。空には月が浮かんでいる。
―――雨は止んでいた。
数日後の京極堂。座敷には主人と探偵がおり、一方は何時もの如く読書をし、もう一方は寝転びながら猫とじゃれている。
榎木津は猫を持ち上げながら、呟くように言った。
「この猫、中国で3年飼われてたんだって?」
中禅寺の動きが止まった。
「・・・千鶴子が喋りましたか」
榎木津は起き上がってニヤリと笑う。
「この間、な。4歳だそうじゃないか。飼ってた知り合いから譲って貰ったんだって聞いたぞ」
苦々しく中禅寺は呟く。
「・・・・余計な事を・・・」
「随分と嘘が上手かったな。―――まあ嘘も方便と言うし、神である僕が許す!!」
「許してもらわなくたっていいですがね」
二人の間の空気が異質なものになりかけた時、タイミングよく
「京極堂、いるかい?」
―――関口がやってきた。
榎木津は笑顔全開で、中禅寺は仏頂面全開で迎える。
「関!!よく来たッ!!」
「うわあ!!え、榎さん!?」
「さァ関、神の肩を揉め!!」
「ええ・・・!?」
榎木津が関口にとびかかる。
自称・神から放り出された石榴は一声、にぁ、とだけ講義の声を漏らした。
了
*******************************************************************
む・・・無駄に長い・・・・・〇TL そして捏造過多・・・・。金華猫については調べたんですけども・・・
自分には文才も無かったよ。ヲイヲイ何も無いぜ。あるのは妄想だけか。イタイな。
京関基本の関総受け風味になってしまった・・・。愛ってスゲ―。
2004/11/2